山形県酒田市には、奥州藤原氏とのつながりを示すある伝説があります。それは、奥州藤原氏が源義経をかくまい、それを理由に源頼朝に滅ぼされた際、藤原秀衡の妹(あるいは後室とも言われている女性)が酒田まで落ち伸びた、というものです。

徳の前と呼ばれるその女性は、難を逃れるために36人の従者に伴われ、岩手の平泉より秋田を経由し、時には山形の羽黒山に身を隠し、ついには酒田にたどり着きました。そして、藤原家の菩提を弔うために髪をおろし、徳尼公と呼ばれる尼となって酒田で没しました。

この徳尼公に従ってきた家臣36人は、酒田で地侍となり、港を使った貿易で財をなし、酒田のその後の発展を築きました。このことから徳尼公は、酒田の開祖と呼ばれています。

このホームページは、酒田に伝わる徳尼公伝説と、江戸時代に廻船問屋として地元の経済を発展させた酒田三十六人衆について、現在の活動と合わせて紹介するものです。

併せて、酒田市の歴史や文化にもふれていきます。