現在、酒田市の泉流寺に安置されている徳尼公の御像は、宝暦元年(1751年)に一度焼失したものを、明和元年(1764年)に本間光丘と当時の三十六人衆が新たに制作して寄進したものです。
本間光丘(享保17年(1733年)~享和元年(1801年))とはかつて日本一の大地主と言われた本間家の三代当主です。
御像は京都の仏師に彫らせたもので、京都より敦賀を経て海路で酒田湊に運ばれたと記録されています。
現在でも徳尼公の命日である4月15日には、三十六人衆と檀家の方々で毎年供養を行っています。徳尼公が没したのは健保5年(1217年)であり、そこから数えるなら800年以上続いていることになります。
令和5年の法要には、平泉の町長さんや議長さんもお見えになり、平泉との御縁を改めて偲ばせていただきました。
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