酒田まつりについて②

 山王祭りの賑わい

かつての山王祭りは、渡御行列(とぎょぎょうれつ)と神宿(とや)の華やかさが特徴的だったといわれています。行列では高さ20メートルもある山鉾が引かれ、本町の廻船問屋が家伝の屏風を玄関に飾り、祭りに花を添えました。


この大規模な行列は、当時の豪商であった本間光丘が京都の祇園祭に倣ったものだと伝えられています。本間家では、宝暦17年(1672年)に光丘が京都の人形師に207両で作らせた亀鉾があり、当時の祭礼の花形でした。


この亀鉾は現存しており、2001年に酒田市の有形民俗文化財に指定されました。現在は、山居倉庫にある観光物産館「酒田夢の倶楽」に展示されています。とはいえ、テレビで山居倉庫がとりあげられるときにも、背景に映りながらあまり紹介されることが無いのが残念です。

▲本間家の亀笠鉾正面


▲本間家の亀笠鉾側面


いずれにせよ、それだけの豪華絢爛さを誇った山王祭りは、当時、江戸や大坂までも知られるようになり、この祭りをめざして数多の商船が入湊しました。湊には千石船がひしめき合って停泊し、さらには近在からの見物客が加わり、今では想像もできないくらいの賑わいだったと伝えられています。


しかし、せっかくの巨大な山鉾も、明治36年に市内に電線が引かれたことで、その後、祭りに登場することはなくなりました。

▲明治36年以降姿を消した巨大山鉾(酒田市立資料館所蔵)


また、神宿(とや)とは山王祭りの期間中、神様が降りて留まるところです。神様のおもてなしをしながら、祭りを受け持つ頭屋(とうや)が所持する珍しい高価な宝物を展示し、来る人を楽しませました。現在は、日枝神社の氏子である各町が持ち回りで神宿を運営していますが、昔に倣って町内の宝物を展示しています。

▲昭和5年の上中町の神宿


▲昭和5年の上中町の神宿内部

(町の人たちがそれぞれの家に伝わる宝物を展示している)

徳尼公と酒田三十六人衆

このホームページは、酒田に伝わる徳尼公伝説と、江戸時代に廻船問屋として地元の経済を発展させた酒田三十六人衆について、現在の活動と合わせて紹介するものです。

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