羽黒山にある徳尼公御像と位牌①2023.07.27 05:33羽黒山と徳尼公の関係徳尼公の終焉の地は酒田であったわけですが、酒田に落ち着く前は、羽黒山麓の立谷沢の妹沢(地元の人はいもさわと呼んでいた)という所に草庵を結び、しばらくの間隠れ住んだと言われています。徳尼公が庄内地方に入ったのは、一族の田川太郎実房(たねふさ)に頼ろうとしたからだ...
酒田まつりについて③2023.07.04 16:29 山王祭りへの三十六人衆の関わり山王祭りの頭屋(とうや)は裕福な家が受け持ちましたが、三十六人衆はその頭屋を選定する際の立会人になっていました。また、大祭当日には祭礼の上座に座り、渡御行列(とぎょぎょうれつ)にも参加していたことから、祭りの中心的な存在であったことが分か...
酒田まつりについて②2023.07.04 16:26 山王祭りの賑わいかつての山王祭りは、渡御行列(とぎょぎょうれつ)と神宿(とや)の華やかさが特徴的だったといわれています。行列では高さ20メートルもある山鉾が引かれ、本町の廻船問屋が家伝の屏風を玄関に飾り、祭りに花を添えました。この大規模な行列は、当時の豪商であった本間...
酒田まつりについて①2023.07.04 16:21酒田まつり(山王祭り)の歴史酒田では、産土神(うぶすながみ:土地の守護神)として上日枝神社(かみひえじんじゃ)と下日枝神社(しもひえじんじゃ)の二つの神社を祭っています。双方とも、酒田のルーツである宮野浦の日枝神社から勧請されたと伝えられています。日枝神社という名称は、明治時代に...